この街の夜道を歩いていると、吉本ばななさんの『キッチン』をなぜか思い出す。
小学生の頃だったか、読書に関しては同年代のどの子よりもきっとマセていた私は、『キッチン』を読んだ。
わたしがこの世で一番好きな場所は台所だと思う。
そうはじまるこの小説。
そして、深夜に冷蔵庫の横にもたれかかり、
主人公は物思いにふける。
その冷蔵庫のなまあたたかい感じと、
夜の微妙に青くて暗い感じと、
床と接触している皮膚の感覚と、
そしてどこか虚空を見ているような目と、
それを小学生のわたしは本の世界の中で想像していたわけだけど、
上海の夜は、なんだかそんな感じがする。
たとえば、
夜、夫の帰りを待ちながら、中国語の勉強をしている。
高層階の自宅の部屋で、
近所のスタバの薄暗くて丸い机で。
そして、ふといつかの春に聴いていた歌がiPodから流れてくる。
東京を思い出したり、
東京に行く前のことを思い出したりする。
ふと自分が今どこに座っているのか分からなくなる。
春独特のこのフヌケな感じ。
だから春は好きになれないんだなぁ。
最近、色々な機会に恵まれ、
「発信する側」にいるような気がしているけれど、
本当に発信したいこと、
伝え方、言葉の選び方、文の作り方、
写真のこと、
それがどうにも過去のように正直に出てこない。
人を攻撃するための発信しか出来なかった過去がたくさんあるけど、
でも素直は素直だったなと思う。
夜、ふと不安になる。
ほんとに感じていること、思っていること、
それらはどこにたまっていっているのか、と。
自分の体のどこかにきちんと貯蔵されてるのなら、
きっといつかそれを取り出すことができる。
そんなことに悶々としていると、
夫は言う。
「それを含めて、いまそういう文章になっていることを含めて、それでそれに対して悶々としていることすべてが、今のあなたでそれが大事」と。
今日、上海の外国語本屋に言った。
日本含め中国以外の人向けの書籍が揃う。
素敵な書店だった。
日本の小説も少しだけ置いてあった。
でも文庫本で1500円、ハードカバーに至っては3500円くらいの値。
日本語を読みたくなっているので、小説を買おうと思ったけど、高いのでやめた。
小説のリズム、日本語のリズム、ひらがなの絵的感覚。
そんなものを見れば、何かまた違うものを紡げそうな気がして、書店に向かったのだとそのとき思った。
でも、結局、中国語の本を買った。
もともと並外れた劣等生だった私は、
劣等生じゃなくなったあとから変なプライドを持つようになった。
劣等生は劣等生じゃなくなる努力をすれば劣等生じゃなくなる。
中国語だって、大学に行く以外にも勉強しないと、
私はいつも人より頑張らないと、
もともと器用な方ではないので。
人を否定することでしか人と自分を比較できなかった時代を乗り越え、
今はまるで人に対する否定、環境に対する否定、
そんなものが消えていった。
中国に来てから、余計に。
(そりゃこんな国ですし)
夜、ずっとわたしのうしろを黒くて長い影がついてきていた。
スリか何かがついてきていると思って、
後ろを振り返ったけれど、誰もいなかった。
10分くらい、振り返るに振り返れなかったのに、
上海の夜に伸びた自分の黒い影だった。
そうやって、東京にいても上海にいても、北京に行っても、
なんとなくなんとなくだけど、
自分が自分であることを確認していくのだと思った。
いまは綺麗なこと、表面のこと、鮮やかなこと、おいしいこと、
そんなことを発信することに決めている。
だから、私の発信している上海はお洒落かもしれないし、
綺麗かもしれない。
けれど、実なそんなことが全て自分の心に映っているものかというと、
そうじゃないのだけれど、
そうじゃないということを、
自分でしっかり知っておくように、
悲しい気持ちも、しんどい気持ちも、がむしゃらな気持ちも、ふと襲う空虚な気持ちも、全部きちんと自分のどこかに貯蔵されていますように。
そんなことを思うのです。
こちらの生活は想像以上に楽しいです。
毎日インターナショナルです。
いろんな国の人と会話し、
お店でも「これ、あれ」しか言えなかったわたしが、
少しずつ中国語で会話できるようになって、
やっと「リーベンレン(日本人)」の枠から、個人の枠へといけるように頑張る段階にきたような気もします。
なんで今中国にいるのか。
夫の転勤なんだけど、いろんなことがリンクしているのが世の常だから、
いろんなことを大事にしようと思う。
中国暮らし1ヶ月。
苦学生のように勉強している時間が、とても好き。
読書と同じように、何かに没頭している行為が好き。
これから自分がどこにいこうとしているのか、
そう思うこともあるけれど、
そんなことを考える時間が惜しいので、そしてそういう体力をこの新しい環境下では持ち合わせていないので、
冷蔵庫の横に座りながら、なんでもいいから、中国語の単語でも覚えるのです。
なんか、受験勉強とか、高い目標があってそこへ向けて必死になるというようなことをまたしてみたいんだろなぁ、と思う。
一種の「若作り」。か。
長文になったけれど、
最後まで読んで下さった方がいたら、なんだかうれしいな。
これがわたしのような気がするから。