2012年09月の記事 | シャングリラムービーの箱の中で   from 北京

     
      

村上春樹の寄稿

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エルサレムスピーチ。
ノモンハン事件。
いろんなことをまた思い出すきっかけになりますね。
朝日新聞への寄稿文



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やっぱり羊肉!


反日暴動の前のおはなし。
上海時代の友人が北京に来ていたので、みんなで羊肉しゃぶしゃぶへ。
北京らしいものにしようかな、というのと、とりあえず金曜日の夜ということで盛り上がろう、ということで、定番どこで。東来順飯荘。
この前、王府井の店舗に行ったときは、あまりの熱さと勢いと、ついでに、そこまで美味しくはない気もしなくもないお肉だったのだけど、とりあえずわいわいできるかなと思ってここに。
でも金曜の夜。王府井のお店は予約できず。
で、前門の店舗へ。こちらはすぐに予約できて、そして店内が暑くない。

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わたしたちの間では、王府井より前門店の方がおいしいかなぁ、と思いながら。
北京にある、小さなお店から定番どころまで、全部の羊肉しゃぶしゃぶを味わってみたい気分。焼肉より、今は羊肉しゃぶしゃぶを、もりもり食べるのが好き。

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冬にはあったまりそう。
でも、夏の方が、汗かきながらで盛り上がりそう。

北京の羊肉しゃぶしゃぶ。
おいしいお店、募集中。
とはいえ、北京の人って羊肉があまり好きじゃないよね。
「餃子の具は何肉派?」と北京人に聞かれたので、「羊肉」というと、「ありえない」と返されました。よって、新疆ウイグル料理は好まないようで(ま、政治的なところの気分的なところもあるんだろうけど)。




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なんでこんなところに自転車が!?〜北京三里屯の夜

自宅で写真の整理をしておりましたら、上海近郊の水郷「烏鎮」の写真が。
上海の周辺には、水郷が多数あり独特の水郷文化に楽しく足を踏み入れていたなぁと懐かしくなりました。その中でも、夜の水郷の写真は、ジブリの雰囲気を私は感じてしまいます。
なぜジブリかというと、きっと『千と千尋の神隠し』のあの雰囲気に似てるからかな、と。つまり、この風景は日本の道後温泉の雰囲気にも似てるのかもしれないな。

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烏鎮は上海からバスで2時間程度。
このときは、この水郷の街のリゾートホテルのようなところで宿泊。

ムード満点。
水郷の夜。

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---*--

そして、今度は北京の酒街「三里屯」の夜。
ここは欧米人居住者も多い場所なので、夜になるとどこかアメリカンな雰囲気を感じさせるような盛り上がりに。ま、黒人さんがたくさん歩いているからそう思うだけなのかもしれないけど。
ここは自宅から歩いてもいけるので、休日の夜に、夫くんとこのあたりを散歩しながら帰る、というのがなかなか楽しいのだけど、先日の三里屯にて。

なんでこんなとこに自転車が!?

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「団結湖駅」の駅案内看板に、自転車が高い場所でくくられている。
この辺りは、休日の夜にもなると、ありえないくらいの路上駐車に、渋滞。
そんなどさくさに紛れているつもりなのだろうけど、見逃さない。
まさか、日本人の自転車ではあるまいな。地味に「反日」してるのか。

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↑そして、酒巴(バー)通り。
右の店「BIG LIVE」は「大現場」と中国語表示されてます(そのまんま)。
ちなみにこのあたりのDVDショップは日本のDVDの品揃えはよろしくなく、やはり、永安里の秀水街の地下のDVDショップに入り、「日本のある?」と一言聞いてみて、そして、おもむろに店員によって開かれた壁ごと動くような扉で裏の秘密の個室に入って、DVDを物色するのがよろしいかと。

そして、この辺りの洋服屋のマネキンは。
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逆さ吊り。

そんな、風情ある水郷の夜と、まあ活気ある北京の酒街の夜。
ちなみにこの日の三里屯。近くの屋外でロック系ミュージシャンがライブを。
おかげで、ありえないくらいの轟音が轟いてました。もう夜ですよ〜。
帰り道に、欧米人に混じってビールを1杯ずつ飲んで、タクシー運転手に乗車拒否されつつも(ってか北京って、反日デモだなんだに関わらず、普段から乗車拒否多すぎて、ありえないよね)強引に乗り込み、ブツブツ文句を言う運転手を完全無視して帰宅しましたとさ。



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鳥籠と茶館。

北京でも、鳥かごのある風景というのはよく目にする風景。
鳥の鳴き声を競わせていたり、ただ木に鳥籠をぶら下げていたり。
中国ではよく見かけるこの鳥籠。
鳥がそこまで好きなわけでもないけれど、この木製の鳥籠はただ見てるだけでレトロな気分に風景が染まるのでとても好き。

北京の胡同へ入る大通りにて見つけたのはこの鳥籠。
たくさんかけられていて、その前で老人2人がお喋り。
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そして、国子監のそばの茶館の前で。
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その昔、このような鳥籠に鳥をいれて茶藝館へ行くのがとても優雅なことだったそう。
今も、中国にはたくさんの茶館があるけれど、鳥籠を持参している中国人を見たことはない。でも、この丸い鳥籠は本当に絵になる。


とある上海のモダンな茶館(オーナーはフランス人)では、鳥籠がインテリアとしてアレンジされていました。
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その他、北京でもお洒落な中華料理レストランでこのように鳥籠を照明にアレンジしたものを見かける。鳥籠を持って、鳥の優雅な鳴き声を聞きながらお茶や食事をする古き良き中国の胡同の風景。その頃にタイムスリップしてみたいもの。

そんな、鳥籠と茶館の風景。



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孔廟、国子監へ。北京の秋はデモだけではない。

北京は秋がとてもいい季節。「天高气爽」という言葉がぴったり。 
反日デモ以来の、「不用不急の用事で出歩かないでね」的なお達しも、ああせっかくの青い空なのになぁ、と思う。 

デモの1週間前、孔廟と国子監へ行って来た。 
孔廟は孔子が祀ってあり、国子監は科挙の試験をしたところ。 
というそれだけの知識で、ふらりと。



北京のイメージとして、 こういういかにも中華的な建物だらけ。
というのがあるのかもしれないけれど、そうでもない。
ビルや道路、そういうものがわりと無機質に建ったり走ったりしつつ、突如、「いかにも中国」というものが建っている。

あなたは上海が好き?それとも北京? 
よく問われる質問だけど、「上海の方が便利だし、住みやすいよ!」という回答は表向きで、わたしは意外と北京の街が好きである。 
その理由のひとつが、いかにも中華的な部分がさほどしつこくは街の中に出て来ていない(とわたしは思う)のに、必ずすぐそばに身を潜めている感じが、寝ている龍のそばで無防備にトランプでもしているような、ちょっと無邪気な気分になれるから。

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と、まるでよく分からない言い分は置いといて、 孔廟・国子監のおはなし。 
地下鉄安定門駅から徒歩15分のところに、これらは並んで建っている。 
(バスで向かったけれど、やはり北京はバス王国。バスが一番便利と思う)


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並んで建っているこの2つの建物だけど、先にできたのは1287年に建てられた「国子監」。
ここは、元、明、清、三時代にわたる最高学府で、国家運営にあたる幹部の人材養成機関だった。明代には、9000人もの精鋭がここで学問を学んだ。

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↑こういうところで勉学したたらしい。

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↑こういうところで勉学してたらしい(その2) 
でも、いまいち想像がつかない。
敷地のなかに、こういう建物がいくつかあり、なるほどこういうところで、勉強し、エリートが育てられたのかと思うと、妙に感慨深い。
でも、いまいち想像がつかない。 どうやら、

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↑ 
師に「お前は赤点!」と言われ、怒られ、正座して反省したふりをつつ、でも心の中では「昼ご飯なにたべよう」とか考えているのだけど、それを奥の副担任みたいな人が横からじっと見ているから、やっぱりとりあえず反省したふりをし続けようとしている。 (わけではないのかな)

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↑ こうやって勉強していたようで。 
青い服を着ている師の頭は、かき氷(いちご)のよう。 
そして、生徒もわりと態度悪そう。
足を組んでるし、教師に「机に誰かが彫刻刀で落書きしてるから綺麗に字が書けないんっすけどー」って言ってからんでるし。 

とにもかくにも、北京は秋。 
学べよ、みなの者。

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---*---- 

そして、この勉学の館のとなりは「孔廟」。 
孔子を祀っているところ。中国では2つめに大きな「孔廟」とか。 
舞台衣装のようなものを身に纏った女の子たちについて行くと、
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孔子さまがついに登場。 
弟子が3500人いたという孔子。
にやけてます。

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でも、この孔子をまつっているこの場所は、なんだか意外と敷地が広く、足が疲れてしまった。中国のどこの観光地でもそうだけど、水持参は必須。 
木も、どこか「論語的」。 
木も、何かを語りだしそうでしょう。

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ちなみに、孔子。 
身長が9尺6寸(216cm)あり、「長人」と呼ばれたとか。(ありえない) 
飯は十分に精白されている米を好み、時間が経ち蒸れや変色、悪臭がする飯や魚や肉、煮込み過ぎ型崩れした物は食べなかったとか。(煮崩れは仕方ないでしょ) 
適切な味付けがされていない物も食べなかったとか。(関白宣言?)
食べる時には話さない主義だったとか。(孤食はよくない) 

そんな孔子。 
こうやって祀られています。

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中高時代、漢文がとても得意だったので、人生のうちいつかに『論語』を原文で読むだろうと思っていた。でも、そんなタイミングはいっこうに来ないのだけど、今がタイミングなんだろうか。孔子さん。 

そして、帰り道。 
子供たちが立っている。
これはなにか起こるぞ。

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ほら、起こった!
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ここは紛れもなく、中国ですから。



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秋は眠い。


日本で流れている中国デモの報道の映像が極端すぎて違和感だけど、
それをみている友人などから、心配メールがたくさん届く。
あれはごく一部で、そのごく一部をのぞいては緊張感はもちろんあるけれど、中国人と普通のコミュニケーションをし、そして報道されているほど野蛮味もなく、いたって普通に暮らしているということを文字で返信したりするけれど、何かその無事さを伝えるいいものはないかと思っての画像がこれ↑。

わたしの家から、大使館までは車で10分くらいでしょうか。
それくらい離れると、暮らしているところは、なかなかにいつも通りの空気感。
「ソフトクリームを食べる図」で、日本のみなさんに中国は全体としてそこまで野蛮ではないということを言いたいわたし。

でも、なぜこんなにも中国や中国人のことを擁護するのか。
それは、今自分が暮らしている場所というところを否定するという行為がわたしの行動マニュアルのなかにないからかもしれない。

とにかく、秋空のソフトクリームはおいしい。




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反日の1日とステーキ。


今日も何通かのものものしい注意喚起メールが大使館から届いている。
たった今も届き、とてもものものしいし、とてもそわそわする。

日本大使館からは少し離れた場所で暮らしているので、デモを目撃することもなく、何かをされるわけでもなく今日が過ぎたけれど、いつもよりかなり小声で話し、服装は地味に、でもなにかと用事はあるわけで、注意しながらも徒歩でいける範囲で出掛け、用事を済ませた。

そして夕飯を外で食べたのだけど、
日本料理系もなんだか遠慮しておこうと思い、だからといって中国人がよく行くような中華のお店も遠慮しておこうと思い、結局、近くのステーキ屋さんへ。
「THE アメリカン」のお店だし、このあたりの土地柄もあって(欧米人が多数暮らしている)、予想通り店内は欧米人がほとんど。
気兼ねなく日本語を話しながら、食事ができてよかった。

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このあたりで暮らしている方は、絶対通ったことのあるだろう、このお店。↓
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内装もアメリカンな感じで、自由な感じ。
でも、食事もアメリカンな感じなので、オイリー&ファッティーな感じ。
がっつりステーキを食べて、マッシュポテトにチキンナゲット。
中華もかなり油をつかうけれど、このアメリカン揚げ物たちは、それ以上に恐ろしいものだと思う。でも、今日は1日なんだか緊張気味に過ごしたし、用事が山積みだったので、肉のおいしいこと。

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さて、明日はどういう流れになるやら。
なんとか収束に向かってくれることを希望。
国とは、国民とは、とそういうことを考えたりする時間。
とかいいながら、がっつりステーキ食べてるくらいだから、何かと心身ともに健康体。

ちなみに、このお店。

バドワイザーの光る看板が、たしかにバドワイザーであるものの、模様が天壇公園。
中国的柄バドワイザーだった。やっぱりここは中国らしい。




明日も天気になりますように。
すっかり涼しくなった北京。
夜になると、カーディガンだけでは寒くて、ついにヒートテックのババシャツをおろした。そして、甘いホットミルクを飲みながら、中国のニュースをテレビで見ているところ。


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TIM's TEXAS BAR-B-Q
北京市朝阳区东大桥路14号秀水2号院
6591-9161
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朝とよるとバスの衝突。

中国は今こんな状況なので、
なんだか色々と緊張しながらの毎日の中国語学習通いをしています。
毎日バスで学校のある南锣鼓巷まで行き帰りしているけれど、最近は極力座席に座らないようにしながら、あまり目立たない格好をしながら、そんな中国暮らし。
村上春樹が小説『スプートニクの恋人』の中で“象徴と記号の違い”について登場人物に語らせているけれど、なんだかそんなことをわたしも熟考しながらバスに乗っているわけで。

ただひとつ言えることは、ご存知の通り中国の交通というのは何とも危険がつきもので。
先日も朝バスに乗っていたら、ものすごい衝撃でバスが急停車。
よく見かける「バイクとバスの衝突」で。
でも、実際に中に乗っているとその衝撃はなかなかのもの。バスは大道路のど真ん中で止まり、バイクはどこかへ消えてしまい、まさか運転手が「えー、バスがー、えー事故をおこしました、えー、詳細を、えー確認致しますので、えー、誠に申し訳ございませんが、えー、係員の指示にしたがって、えーバスを降車願いますー、誠に申し訳ございません」的な発言をするわけでもなく、ただ運転手は自分だけバスを降り、バスのドアだけをあけ、どこかへ行ってしまう。
そんなことは、こういう場合に限らず、中国では「常」である。
乗客も慣れた感じで降車し、大道路(車や自転車やバイクがびゅんびゅん走ってくる)を横切り、慣れた感じで次のバスを待つ。
なにかと危険なのだけど、なにかとそれがすぐに致死的なことにつながるわけではない。
バスを乗り換えた私はいたってすんなり目的地に到着するものである。

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このブログを読んでくださっている方から昨夜、メールが届いた。
わたしのブログを読んでいると、「夜」を感じる。
と。
夜の話題ではないのに、「夜」を感じる。
と。

なんだかひどく納得しつつ、それは私の文章なのか写真なのか、そもそもの存在なのか分からないけれど、わたしはそう言われてなぜか嬉しかった。

そして、今日は「朝」の写真を載せようと思った。
上の写真↑は、AM7:30の自宅近くの朝。太陽がまぶしすぎて分からなかったけど、自分がちゃっかり映っていた。どうだろう、「朝らしい」かな?
それでもやっぱり、「夜らしい」かな?


毎日通っている場所の朝はこんな感じ。

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秋はとても美しく、影絵も美しく、そしてまだまだ太陽が眩しい季節なのです。
最近、どうも誰か大多数に何か反応があるだろうところ(SNSがそう)に何かを発信するということが億劫で、反応のために太陽を追っている気がして何か違う気がするので、心の鍛錬のためにそういう場所を覗く回数を減らすことにしています。

そうやって何か、画面上のリアルタイムなものに遅れていったとしても、
自分のリアルタイムは、今、目に見えて、感じてるものだけだから。
そういう意味では、私にとって、今暮らしているこの外国の街は、とても優しい。
Yahooニュースを見ているとそんなこと感じれないけれど。邦人がラーメンをかけられている被害、いろんな被害が情報として方々から入ってくるくれど、私の見えているこの街は、朝がとても美しい。
暑い夏が終わり、涼しくて好きな秋がやってきて、朝がとても美しい。

そんな、朝とよるとバスの衝突のおはなし。






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チベットカフェ〜tibet cafe

南锣鼓巷にはカフェがたくさんあるけれど、
そのときの気分で、入りたいカフェに入る。
というのが、いい。気がする。

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この日は、この付近に用事があったのだけど、立秋を過ぎつつも34℃を越えてた蒸し暑く(空気も悪い)日。

で、入ったのは「西藏咖啡馆」。
西藏とはチベットのこと。

中に入ると、チベットの写真がたくさん架けられている。
この夏、チベットに旅行したいと思いつつも、入境許可がおりなかったチベット。
(結果、新疆ウイグルへ旅行し、とても良い旅だったから結果よかったけど)

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チベットの雰囲気満載。
(行ったことないけど、イメージを裏切らない内装)

そして飲んだのは、「西藏甜茶」。
店員さんに「甘すぎる?」(中国語)と聞いてみたら、「そんな甘くない」というのでとりあえず注文してみる。

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うん。
甘くない。
ちょっとジンジャーのような風味が入ったようなミルクティー。
おいしい。おいしい。おいしい!

そして、店内でゆっくりしていると、窓の外でたくさんの警官が。
何?なに?? ってちょっと警戒していると、どうやらこのお店が外に出してたテラス席を片付けろ、ということみたい。
店員さんは仕方なしそうに片付ける。
(あとで分かったのは、どうやらこのチベットの店のテラス席だけ撤収させられた様子)
(北京でもあるのかな、こういう感じのチベット関連店への威圧)


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で、买单(お会計)をしてると、
店員さんが「甘くなかったでしょ?」って聞くので、「おいしかった!」って話しはじめて、色々と話していると、このお店の店員さんは全員チベット出身。とのこと。
「この夏、行きたかったのに行けなかったの!」って言うと、「5人そろえば行けるよ!」と言う。
チベットへの熱い想いを語りつつ、お店をあとにした。
ここの店員さんは、気さくで、最高。

↑この上の写真、アイスを食べる子供が。
(この坊や達が店員さんではない)


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西藏咖啡馆 TIBET CAFE
北京市东城区交道口南锣鼓巷97号
010-64022165
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色とわたしのこと〜北京最大のチベット寺院にて


北京で最大かつ保存状態の最も良いチベット仏教の寺院へ。
自宅からバスに乗って、30分以内で到着!
この辺りはいかにも北京的な歴史的風合いがただよう場所。
そして、だいたいそういう場所には、欧米人観光客がいたりして、
北京らしい=欧米人がいる。という私の中の構図が完成しているような場所。

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写真(下)は、ここの入場券。
なぜかCD。どうやらここに読経の録音が入っている様子。
(が、想像通り、家に帰って聴いてみようとしたけど、このCDは読み取り不可だった。ま、中国らしい話でございますよ。チベット読経って一度聞いたらなんか好きな感じだったので、残念)


そして、さすがチベット仏教寺院。
こういう人がたくさん歩いている。
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ここの面積は、約6万6400平方メートル。
広いし、いろんな建物が建っている。
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ここは、清の皇帝が息子のために1694年に建てたものが元。
そして、そののち、ここの残りの半分をチベット仏教派に与えたよう。
漢、チベット、満州、モンゴル各民族の建築様式が混じりあい独特の雰囲気を出している。

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「仏教」と言っても、日本で見慣れた感じではなく、ここは、どこの風景を切り取っても色彩が豊か。

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海外で暮らすようになってからよりいっそう、「色」というのはつくづく不思議なものだと思う。遠い遠い昔から、地球のいろんなところで人は色を求め作ってきた。信仰のためであったり、葬祭用途であったり、ただのマークであったり。そしてそれ以前にただ生えている木や花、そして蠢く動物や虫にもそれぞれの色を持っている。
人だって、肌の色がある。そしてそれは人間を差別するためのものであったり、識別するものであったりもする。美しいだけのものでもない。

洞窟の奥の奥の鉱石から、美しい宝石を取り出すこと。
それは、かつてとても危険なことだったけれど、宝石のもつ色というのはどれほどに美しかっただろうと思う。たとえば、赤茶けた砂漠の真ん中で。ただ光っている、固い色の石。

中国では、深い赤色のことを「チベット・レッド」という。
中国の国境地域、山岳の中にいる染色業者だけがこの色を染める技術を持っていると言われていて、チベットからはるばる中国へ貢ぎ物として運ばれ、中国の身分の高い人が着用したという。


そしてチベットといえば、↓この「タルチョー」と呼ばれる旗を連想する人も多いと思う。

(http://ymtk.jp/ladakh/2007/11/post-65.htmlより画像を借りました)


この旗のような布の起源は、古代の軍旗と言われている。
軍隊や遊牧民が移動するときの目印の旗が、そこは自分たちの縄張りであると示す意味を持つようになり、やがて悪しきものを遠ざけるという意味を持つようになった。  

タルチョは青、白、赤、緑、黄という五色の旗が順番に連なっている。
それぞれの色には意味があり、
青は空。白は雲。赤は火。緑は水。黄は土。
色は世界であり、祈りであり、そして果てしのないものなのだ。

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そして、チベット曼荼羅は、元来、僧侶が自らの信仰心で描いたもので、曼陀羅に描かれている仏や菩薩は、日常の時間をつき破ってその姿を顕したものであって、その姿を見ることの出来るのは特別な時間「聖化」された時間だけと言われている。

チベットの砂曼荼羅は、とても色の美しいものでありながら、それをつくる僧侶たちにとって、そのときは信仰の時間であり、神聖な時間であり、祈りの時間でもある。
よくあんなものを作るなぁ、と感動してしまうけれど、その線対称な図柄と色合いは、世界と自分とのバランスでもあるように思う。


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発展した社会の中では、
「色は世界と自分をつなぐもの」というような大仰なことを言ったら笑われるかもしれない。そしてもしかしたら、色が世界と自分を結んでいるなんてことはないのかもしれない。
でも、たしかに世界は色であふれている。
やかましいくらいにあふれている。

街を歩きながら、単色しか見れない昆虫が1時間だけ全色を見ることができるとしたら、どんなだろうと思いながら、街の風景を眺めることがある。
疲れるものだ。
だって色から音楽が流れて来るわけでもないし、いいニオイがするわけでもない。まともに色だけ追いかけていたら目も乾燥してしまうものだ。
ただ、色が色として止まっているだけ。
動いているのは道路の車であり、歩く人であり、世界である。


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でも、ただ緑があって赤がある。
そんな「ただの風景」が、止まっていてくれて、見やすくて、わたしはとても好きだ。
珈琲の好きな人が珈琲をじっくり味わうように、
野球の好きな人が手にマメをつくりながらバッティングの練習をするように、
わたしは、色が好きで、何かを試されているような気分になる。


そんな、ただの色のおはなし。



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2011年冬より半年ほど上海在住。
2012年7月より北京暮らしスタート
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