2012年12月の記事 | シャングリラムービーの箱の中で   from 北京

     
      

Love letter 〜中国らしく。

旦那さんの誕生日。
わたしたちは誕生日や記念日になにかとカードを送りあうのが習慣になっているけれど、中国でも結構素敵なカードを買うことができる。

基本的に「漢字」が好きなわたしは、
漢字ばかりのこちらのポストカードはどれもなかなか好き。

手紙を書くときは、
どこかのカフェに出掛けて書く。


最近、ブログもSNSも何もかも、ほぼ家では書かなくなった。
なぜなら中国はWi-fi天国なので、
しかも何時間でもカフェに居座れるので、
パソコンやiPhoneさえあれば、どこででもネット環境。
これは日本も見習ってほしいね。
いや、むしろ、なぜそうしない?

ともあれ、今の総理大臣は嫌いだ。
わたしは野田さんがとても好きだった。
同窓というだけではなく。
言葉に、紡ぎ方に心があったから。

そんなこんなで、日当りの良い席でハガキに文字を走らせる。



これで、夫婦ふたりとも30歳になったということで。
おめでとう。



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BED(床吧)で過ごす夜。静かすぎるバー。

日本から友人が遊びにきているので、北京らしいところ、でもガイドブックには載らないところに一緒に行っている。
昨夜、夕方から降った雪のせいで交通はいつものように麻痺。
ただでさえつかまらないタクシーは、一層つかまらない。
だって、ここは北京。
なにごとも思い通りにはならぬ首都。

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向かったのは、旧鼓楼大街の胡同。
雪景色の胡同の写真を載せたいのだが、
あいにく写真がない。なんで撮らなかったのか自分でも不明。

ちなみに「床吧」とはベッドバーという意味。
「床」は中国語でベッドのことです。
ベッドのようなところで、ゆったり飲める場所。
そしてただひたすらお酒しかない。
(つまみすらない)

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ちなみに照明もほとんどない。
ただ、元・工場だったというこの建物は、
ただでさえ閉鎖的な冬の北京の、閉鎖的な胡同にあって、
何ともいえず哀愁。

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好きだよ、北京。
って思う。

そして、最近気付いたのは、
寒い寒いロシアのお酒「ウォッカ」は北京にもよく合うということ。
少量でくっと酔えて、くっと体があたたまる。
帰路もそんなに寒くない、最強のお酒。

いずれにせよ、
好きだよ、北京。
ってやっぱり思う。


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BED(床吧)
北京市东城区旧鼓楼大街张旺胡同17号
010-84001554
15:00〜翌2:00
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北京式のクリスマスイヴ〜包餃子。

あまり盛り上がらないまま終わった中国のクリスマス。
とはいえ、イヴの夜は、カフェをしている中国人友人に声を掛けてもらって、国子監近くのカフェバーにてパーティー。
まずは、包饺子(餃子つくり)から。
お洒落な雰囲気の中つくる餃子は、なかなかいいもんです。

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1名のアメリカ人を除き(とはいえ中国語ペラペラな彼)、全員が中国の若者。
ああこんなにも生き生きしてるんだな、と改めて思う。

わいわいわい。
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ここのカフェは胡同の中にある。
孔子廟をさらに西の方へ歩いていくと、ぽつんと建っている。
たまたまここを訪れたときに、ここの女の子と知り合いになって、
で今回誘ってくれたという感じ。
ここに集まった人たちも、カフェに来ているお客さんだとか。

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北京って、さてどんなとこ?
っていう感じだけど、こういう胡同カフェというのはなかなか充実しています。
ただ、自分で歩いて発掘する元気さえあれば。
是非是非おすすめのカフェを見つけてみてください!

ちなみに、ここのカフェ、
昼間はこんな感じ → http://w-shangri-la.jugem.jp/?eid=330

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夜はまた違った雰囲気で、素敵。
2012年のクリスマスイヴは極寒の北京の路地裏で餃子つくり。
何とも印象的。



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ビター&北京 in クリスマス

30歳を超えたとたん、
「ビター(にがみ)」というひとことに全てを凝縮できるこの余裕は何だろうか、と考える。
哀しいとかしんどい、とかまるでない。
ただひとこと、言うとすれば、
「にがい」。

それがもしかして大人の感情になるということなら、
わたしは大人のほうが性にあっている。

とはいえ、
北京のクリスマスはいまいち盛り上がりに欠ける。
日本の、クリスチャンでもないのにクリスマスに興じたり、ハロウィーンでかぼちゃがどうのこうの言うのも好きじゃないので、幾分北京のこの盛り上がらないクリスマスの方が自然体で受け止められる。

北京の前門も、クリスマスはわりと地味。
そりゃそうだ。

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どちらかというと、寒さだけが問題。
−何度でしょうか?今。
この人たちの耳まで覆える帽子が欲しい。
どこで買えるの?

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たしか外資系資本の「キャピタルM」へ。
(上海の「M on the Bund と同系列)

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クリスマス的アフターヌーンティーができた。
でも、やっぱり店内はそうはいってもちょっと寒いね。
北京だから、仕方ないのかな。

このお店から見えるのはこの景色。

天安門を中心として、南北につながる整然とした北京の門が一望できる。
いいよね、こういうただ一直線の感じ。

なんだか最近、
ここ北京を離れる日が来るということにとてもこわさを感じる。
空気と気質が合ってるのだと思う。

日本のテレビは、
「NHKワールド」しか観れないようにしてるから、
正直日本の最近の芸能も有名人もよく知らないけれど、
救急車の出動に関するレポで、
「うん、たぶん大丈夫です。自分でタクシーをひろって病院に行けるから」と言った日本人に対して救急車を出動させなかった救急に対しての批判レポなのだが、
最近の日本の報道は、どうかしているのだろうか。
と思う。

自分が報道側に立っていないから言っているのではなく。
どうかしていると思う。

もちろん、日本人的にはコレに対するレポがニュースになるのはよく分かる。
でもたとえば北京でこのニュースを見ていてどう思うか。
そんなこと知らないと思うが、
変な話だと思う。
海外在住者に対し、何か番組のセレクトというものを考慮はしてくれないのだろうか。

別に誰を責めるわけでもないけれど、
例えば自分、自分の家族に対し、
何が言いたいかというと、それは簡単。

ここ中国にいて、
日本人的にやーーんわり、ほーーーんのり何かを主張していては明日にならない。
ということが痛い程わかる。
それが日本人の私にとってホロ苦い後味になったとしても、
ありえないほど甘い味になったとしても、
それはどちらであっても、
言わなきゃならない、ということが多発する。

これまで言いたいことを言って来た人生だと思ってたけれど、
まるで違ってたといまさら気付く。
もう30なのに。

意見と想い。
主張の仕方を変えるべきなのは、会社時代に痛い程学んだ気がするけれど、
そんなことまるで関係ないと言わんばかりの、
ここ北京のこの雰囲気。

合っているんだろうな。
もしくは至極合っていないんだろうな。
極端なもんだ、自分の人生。

「にがい」
とひとことで片付けることができるようになって、
ただ楽になってけれど、ただ妥協しているような気にもなる。
子供だったときも、大人になっても、
複雑なもんである。
つまり、そんな性質だということだろうか。
そんな性質の人たち、またメールください。




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胡同の北京ダック店と、雪景色。

世界の終わりと言われた日の前の日、北京では夕方から雪が降って来た。
気温ももちろんマイナス。
翌日届いた中国人の友人からのメールがなんとなくおもしろい。
「昨天不是说世界末日吗.我以为雪会一直下不停.直到把地球都盖住!(昨日は世界の終わりの日だったよね。雪がずっとふりやまないかと思ったよ。そして地球が覆われてしまうのではないかと)」

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(左:三里屯付近 右:北海の湖が全部凍って雪まで積もってる)


でも天安門は、翌朝わりとあっさり雪が掃除された様子。
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そして、最低気温がマイナス20℃??という予報の中、
週末、夫くんとともに、
噂にきいていた前門近くの胡同の中の北京ダック店「利群」へ。

北翔風胡同。
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北京といえば「胡同」。
そしてそんな胡同も北京五輪をさかいにどんどん姿を消していると聞くけれど、
わたしの行動範囲の中では、まだまだ胡同は健在。
生活臭が染み付き、トイレのにおいがして、
パジャマでうろうろしている人がいたりする。


そして、お店はこのかわいいダックのイラストが目印。
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お店の入り口。
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見た目はこんな感じだけれど、
欧米人観光客も多いというこのお店。
世界各国からの著名人も訪れるようで、お店の入り口には有名人の写真がわんさか。
メニューは英語表記もあるので、
日本からの観光客も是非是非こういうところでの北京ダックをおすすめ。

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北京ダーーーーーーーーック!
北京で何度も北京ダックを食べたけれど、お店によって味が違う。
油っぽい北京ダックが苦手なので、ここの北京ダックはわりとあっさりしてて食べやすかった。

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北京の冬。
さてこれからこの寒さの中、どう娯楽を見つけていこうか、
と思うのだけれど、自分史上経験のない−10数℃のこの街は、
どこかピンとした空気が顔に痛く、手の甲は老婆のように乾燥してガサガサ。
でも、なんだか寒すぎて、
街に挑みたくなる。

でも、とりあえず、寒いね。



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てるてるさかさま。氷点下の北京。

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寒いですね、毎日毎日。
でも北京の氷点下にも意外とあっさり慣れたかな。
とにかく乾燥しているので、氷点下であっても何となく凌げる。
が、1週間前に降った雪は路端でいまだ溶けぬまま。
そんなことより、静電気がものすごい。
とにかく常に静電気。
そして、静電気といっても日本で体験するようなかわいいものではなく、
火花が散ります。ほんとに。
痛い痛い。
部屋の中は静電気の恐怖。


今日は夜みんなでお鍋を食べにいくので、
時間つぶしにまたMAAN COFFEE。
昼間じゃない時間に居るのははじめてかな。
暗い場所が好きなので、助かる。
Macbook持参なので、存分に時間をつぶせる。
コンセントもWifiも完備だからね。

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(中国語で書いてみる)
村上春树的小说里有这样的一节;「从事写文章这一作业,首先要确认自己同周遭事物之间的距离,所需要的不是感性,而是尺度。」 我从很早以前就开始读他的文章。我不但爱读他的文章,而且喜欢细细品尝那字里行间的孤独感。他常常打比喻,特别是挖井的比喻。受不知是不是受他文章的影响,我有时会有一种没带地图挖井的感觉――明明知道找不到出口。我觉得对我们来说事先准备逃避的地方是很重要的,而每个人的地方都各有不同,可能有的是自己的时间,有的是看书,还有的是步行。什么都有,什么都可以。你有什么样的自己的地方呢? 我在做各种摸索。我不知道为什么在北京最冷的季节必需继续挖井。我相信今朝有酒今朝醉啊。虽我烦恼但我心里充满了喜悦。 因为这里是北京。

(中国語勉強を開始して10ヶ月くらいになるのだけど、ごめんね劣悪な語学力かもしれない。
文章の下手さはおいといて、要約すると、)

ものさしで世界との距離感をはかりながら、あてもなく井戸を掘り続けているっていうこと。そして人には誰でも自分だけの空間が必要で、それはもしかしたら逃避場所かもしれないけれど、それがいかに重要かということ。でも何でまたこの寒い北京で井戸をほり続けているのか自分でもよく分からない。でも明日は明日の風が吹くものだ。何か悶々としてはいるけれど、わたしはなんだか嬉しい気分。なぜならここが北京だから。

(ってな感じ)


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ということで、MAAN COFFEEでブログ書いています。
朝起きると北京の街はまだ薄暗く、16時過ぎになると薄暗くなる。
そして昼間は薄白く、夜は暗い。
つまりずっとなんだかモヤモヤしている街なのです。
首都なのに?首都らしくない?
クリスマスの盛り上がりもないよ。笑。
もちろん中国は春節を祝うので、
日本のようにクリスマス→お正月へ向け、どんどん街が盛り上がる感じもない。

どうでしょう、そして今、
iPhoneの天気予報はこんな感じ。
まだー1.4℃か、って感じだけど、注目すべきは、
明日以降の最低気温。
「-28℃」ってなに?

冷凍マグロにでもなれとおっしゃっていますか?

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そして、今夜も雪になるかもしれない。
実際よりも、この氷点下表示を見ていると寒い。
実際は外を歩いていても何とかいけるものですから。



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胡同のベトナム料理と、リアル胡同散策。

美術館近くの胡同の中にあるベトナム料理レストラン。
お友達のご夫婦に連れていってもらいました。
今日は一段と寒かった気が。
この奥の赤い扉がレストランの入り口。


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久々の美味フォーに生春巻き。おいしい。
そして、初めての「雷魚料理」を。
ベトナム・ハノイではよくこの雷魚料理を食べるみたいだね。
これがこれが、妙においしい。
甘辛い味付けの雷魚に米麺とパクチーなどなどを混ぜて食べます。
新食感。おいしい。ほんとおいしかった。


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そしてこのレストランをあとにして、
わたしたちはこの付近の胡同の路地裏を散策。
北京の観光地のちょっと誇張された胡同とは違って、この辺りはリアル胡同。
雪の残るこの胡同は、まるで映画のロケ地みたい。



たとえば、サボテン屋。
 


たとえば、雑貨屋。
 


作られていない胡同はとても静か。
どんどん縫うように細い路地が続き、
もう同じ道には戻れない。



雪国の風情。
空は白く、道端も白い。
木の枝は切り絵みたいに細く、空気はピンと冷たい。
この日は真昼でも氷点下3℃。



なんだか最近飲み過ぎなのか、騒ぎすぎなのか、
はたまた考え過ぎなのか、考えなさすぎなのか、
よく分析もできていないけれど、
なんか疲れている。たぶん。
青い空をしばらく見ていないからかもしれない。
でも、今朝ふと、
なんだか一本書けそうな気がして、嬉々とした。
どんどん積もってく。

そして、最近ここのブログをみた友人や、知らない人から、
メールをよくもらうようになった。
そして、「なんだか泣いちゃいました」って言ってくださる。
どの記事のどの部分で泣いちゃうことを書いてしまったのか、
自分でも振り返りたくないけれど、
でも、空気は伝染するものだから。
世界が何かを憂いている、世界が疲労している。
そう思うよ。

でも。
わたしは憂いていないし、愉しむことしか考えていない。
30歳を越えてから、みごとに何かのテープをきったかのように、
新しいものが芽生え、崩れ、それは常々ほろ苦いのだけど、
でも楽しい。愉しい愉しい愉しい!

そんな胡同の路地裏。
小道を抜けると、こんなものが。



たやすく接近するけどね。




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まだまだ湯気がたっているうちに泣いておこう〜北京雪景色

また雪。
昨夜から降り出した雪は夜のあいだに北京を白く染めた。
この街は夜が暗い。
昨夜は友人と夕飯を食べ、お店を出たら、外は真っ白。
出歩く人も少ない、北京の雪の夜。
そして今日は雪だるまがたくさん出没。

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マンションから出る気もなくなるこんな寒い日。
欧米のこどもたちは元気に雪だるまを作ってる。
わたしは寒いから、マンションのカフェでやるべきことをとっととやろうとしているのだけど、なかなか捗らない。

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元気だな、子供は。


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用があって、中国語でひたすら作文をしているんだけど、
雪景色をみながら、マンションのカフェで。
珈琲はすでに2杯目。ぜんぜん進まない。
湯気がたたなくなっては、店員に「もう1回あたためて!」と言う。
湯気がたっているうちは何だかいけそうな気がする。

まず日本語を書いて、それを中国語に直す。
という方法は自分はあまり好きじゃなくて(単に面倒くさがりなだけだけど)、とりあえず最初から中国語で書いていく。
頭が若くて冴えてた若い頃と違って、外国語を書くのは今は本当に体力勝負。
喫煙者じゃないけど、ニコチンでもカフェインでも何でも持って来てほしい!って思う。
そしてせめてUAの毒々しい歌声で、脳内を刺激する。


自分がつくった中国語の文章を今度は日本語に置き換えてみる。
すると日本語がまるで外国人が喋っているようにカタコトのニホンゴになる。
不思議なもんだ。
つまり、ダメな文章なんだな。

ここ数日北京は青い空がない。
白くて寒くて、閉鎖的。
嫌いじゃない。还可以。白白的很漂亮的。


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今いる同じカフェで昨夜、コロナを飲んだ。
夜はカフェも人がいなくて、雪の夜だから外を人が歩いていなかった。
中高時代からの親友からメールが届いた。
まさにコロナを飲み始めた頃。
内容は言わないけれど、思わず涙があふれてきた。
どうすればいいのだろうと思った。いまなにをしているのだろうと思った。
彼女と今いっしょにいたいと思った。
そして、あたたかい、と思った。

最近いよいよいろんなカードを目の前にさしだされている気がして、
これが30代の愉しさか、と思うのだが、
事実、カフェインやらアルコールやらがないとこのテンションとあたたかさを維持できないのも事実。年齢のせいでもないけれど。

雪は人を詩人にする。
街は人を詩人にする。
でも、そうしたところで現実は現実。
詩人は世界を愉快にして憂うこともあるけれど、決して何も変成させたりはしない。

真会享受啊!





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雪の降る北京〜胡同風情

今朝マンションを出るとき、
「今日は雪が降るよ」とフロントマンに言われ半信半疑で学校へ。
でも家を出てものの10分もしないうちにぱらぱらと散り始めた粉雪。

美しいんだよね。
なんだか最近氷点下で寒いばかりだったけれど、
雪でも降ってくれると心がなごむ。
寒いけど、なんだかいいよね。

で、南锣鼓巷。
毎日通っているところでも、雪が降るとまた違った風情。

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いつしか国慶節のときからぶら下がっていた赤い提灯も取り去られ、
淡白な灰色の街になっている。
それでも、赤いリキシャに、緑のコート、
この組み合わせは北京ではよく見かける組み合わせ。
それでも色鮮やかなこの街。

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今日は雪見酒。
中国人の友達と四川料理。

ここ北京に来てすごく思うことは、
アルコールがいかに体をあたためてくれるか、ということ。
北国の人が、ロシアの人が強いお酒を飲むのがよく分かる。
納得。

ただ、今日一緒に時間を過ごした友人は、
出身が中国の東北地方。
ー20℃にもなる場所の出身だから、今日の北京の天候なんてまるで寒くないのだそう。
わたしはダウンの帽子をかぶり、顔の半分をマフラーで覆い、ムートンブーツに手袋という姿なのだけれど。

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中国人の友人が増えてきて、
お酒飲んだり、食事したり、メールしたり。
メールは問題ないのだけれど、
やはり長時間おしゃべりをすると、自分の語学力に愕然とする。

友達関係はどんどんと時間とともに深くなっていくのに、
それに語学力がついていっていない。
なんかたまにドカーンとへこみつつ、
でも、中国人は優しいから、「問題ないよ!」なんて褒めてくれて、それでまた元気になって、というそんな繰り返し。

彼らと今、流暢な共通言語があったなら、
もしかしたらもっと友達になっているかもしれないし、
全然友達になんかなっていないかもしれない。

でも、北京の日々を楽しくしてくれるのは、
異国・異文化・まるで価値観の違うこういう友達たちだと思う。
格差もあるし、駐在日本人がわざわざ付き合うまでもないかもしれない人たちかもしれない。

でも、今わたしは関わりたい。
今だからこそ、関わりたい。
一度杯をかわせば、もう本当に友人になるのね、こちらの人。
あたたかい。

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いくぶん情緒的な書き込みが増えている最近のこのブログ。
でも、娯楽がない北京で、感じることが多くて、
「你想多了!」(かんがえすぎだよ!)なんて中国人に笑われながらも、
中国が好きよ、北京が好きよ、中国人が好きよ、
とそれしか知らないくらいに言ってみる。

でも、本当に、真的、こんな寒い街であたたかい気分にさせてくれてありがとうと思う。
そして彼らは「不用谢、咱俩是好朋友」(友達なんだからありがとうなんて言わなくていい)と口を揃えていう。

でも、期間限定の渡り鳥のような気分のこの北京の街で、
ありがとう、とわたしはいつも思う。

雪が降った今日も、
なんだかあたたかい。

そして人生はとてつもなく長いような気になるし、
ここ北京での生活がとてつもなく短いような気にもなる。
楽しんでこそ、生きているということだと思う。
苦しいことがあってこそ生きていることだと思っていた時期も長くあったけれど。
でも、楽しんでこそ、だと思う。
なので、わたしは誰が何といおうと、
楽しいと思うことを、楽しいとおもう人たちと、することにしている。
そんな風に思えたのは、もしかしたらこの国に来てからかもしれない。

あらためて、不思議なパワーを持つ国だと思う。



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真冬の北京におもうこと。butabana

意外と家の近所にあるロシア人街は、なんだかとても歩きたくなる閉鎖的空間。
別に格段閉鎖的なわけではないが、
北京ではない空間と、漢字ではない文字と、
そしてアジアじゃない人の顔がたくさんある。
こんなに北京の中心にあるのに、だ。

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最近、ワインをマンション村のスーパーで口までマフラーを巻き付けて極寒の中、買いに行って、家の中で飲むことがとても幸せ。
旦那さんの出張が増えていて、
北京の夜をひとりで過ごすこともあるのだけど、
ワインを飲みながら、中国人や日本人の心を分かりきった(分かりきられた)友人たちと文字で交信し合って、あーだこーだ、ただそれがとても楽しい。


わたしは先日30歳になった。
女で、既婚者だ。
よって、あと残るは子供を育てることなのだと思う。
いや誤解されたくないので言うが、
女は一生ひとりでも生きて生けるし、むしろそれは究極にかっこいい。
結婚しただ、子供を産んだだ、
しかも時系列に人に評価されるほど、
女も人間もバカではない。

ただ子供ができる自分というのを想像すると、どんな小説よりもおもしろい不思議な
気がするので、欲しいと思っている。
が、すぐに出来るわけでもかったのだけど。

子供を宿すことがまず先で、
そのあとは生むことが待っていて、
そのあと、育てる ということになるのだろう。
が、自分でも極端に否定したいことは、
なぜプロフィール写真が子供の写真なのだ?と思ってしまう。
おとなげない意見だけど。
わたしは子供を生んだとしても、きっと自分は自分だよ。
そうでいたい。
子供しかない、そしてそれをさも所有物かのように人に見せたがる、
そんな母親にはなりたくない。
所有物じゃないからね。
所有物はあくまで一生、自分の体とこころだけだからね。
子供がいないのに言うのもとてもおこがましいし、ごめんなさいなのだけど。


そうならないようになるまで、
わたしたちのところに子はやってこない、って勝手に自信を持っている。
子供は子供で、わたしはわたしで、だんなさんはだんなさん。
わたしがとても嬉しいのは、その中でうまれる関係性。


いずれにせよ、
よく分かっている。
いやというほどよく分かっている。
はやく子供でもうみなさいよ、なんて人の目があるということ。
もう結婚3年だし。

が、自分の体というのは気持ち以上に正直なもので、
というか、もし将来的に我が子になるである人物がいるとしたら、
その子がある意味とても聡明な子だとすでに思っているのだけど、
ここ北京のこの日々が、
自分にとってあまりに色々な刺激と、
もしかして少しだけ持っているかもしれない書いたり撮ったりという分野があまりに騒いでしまって、色々と気持ち的に大変なのも事実。

自分の人生だけど、
女である以上誰かの人生であるかもしれないけれど、
でも、わたしはここ北京の極寒の街を歩きながら、ひたすら思う。

自分の心に素直に、
自分の直感のままに、歩くしかないと。

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なにがあるわけではない。
ただ、持つことがそんなに重要か。
一人前じゃないという事実をつきつけられても、
自分にとっての今という時間は誰が監修してるわけでもないだろう。

結局自分が納得すること、時間、とき、
そんなことでしか自分を縛れないのだろう。
女は30になると、
そして子がいないと、
とても自由な気分になるものである。
でも、自由というのは大学生のそれとは違う。
自分を生んでくれた大切な母が、今のわたしの年齢の頃なにを考えていたのか、そう考えることがある。この年齢の頃、すでにわたしはもう話を十分にはじめ、もしかしたら自我も芽生えている頃である。
母は今のわたしの年齢の頃、
わたしをもう知っていたのである。

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北京の街を嫌う人をよく見かける。
親しい北京出身の中国人も、自分の生まれ育った北京が嫌いだと言う。
でも、わたしは、
上海よりこの街をとても好んでいる。
そりゃ娯楽もなければ、快適な気候もない。
便利な交通もない。

が、おそらく皮膚に合うのだろう。
北の街独特の少し閉鎖的な空間がより一層、自分の日々を濃厚にし、そして自分の考えを濃厚にし、感情を希薄にし、そして厚いコートを着て、顔の半分をマフラーで覆って、そして日々誰かと会い、それが日本人だったり中国人だったりするけれど、そんなことは関係なくて、ただ今の自分と時間をともにしてくれる人をとてもいとおしいと思い、そんなことで日々暮らしている。


ここのブログを、誰が読んでるのか、いまいち把握もしていないしする気もないけれど、
たとえば私のことを直接知らない人、直接知っている人、どんな今のわたしを想像するのだろう。

あなたを拒絶しているわけでも、否定しているわけでもない。
好きでもないし、嫌いでもないし、よく分からない。
なぜなら今面とむかって話しているわけではないから。

人と関わること、
それは肩に手をぽんと置いてくれるぬくもりのことだと最近そう思う。
バスに乗っていて、老人に席をゆずるときに、
肩にポンと手を置くことにしている。
そしたら、その老人もわたしの肩にポンと手を置いてくれる。
そういうただの非言語のコミュニケーションが、いかに今のわたしの毎朝を支えているのだろう、と思う。


ここで毎日暮らしていくなかで、何とも削ぎ落していかねばならない心の部分もあるし、逆に貼り重ねなければならない心の部分もあり、いずれにせよある一定以上のテンションを作っていないと、寒さにもパワーにも負けてしまうのだ。


そして、今、
いろいろな部分がドバッと開いては入っていき、
閉じては開いているこの極寒の中、
わたしが今なにをすべきなのかを考えていると、
ますます分からなくなって、
ただ文章を書き、もしかしたら子供がいたらいいかもなと思い、
ただ中国人と交わり、ただ中国人のいい加減さに腹をたて、
でも中国人に慰めてもらいながら、
ただ今自分だけでもいいなと思ったりしながら、
気付けばお札持ってマンションの中のスーパーでワイン(必ず、白)を買い、
マンションのフロントにいる中国人朋友にクッキーをあげ、
そんな日々なのだ。

エンジョイしているね、
楽しそうだね、刺激的だね。

なんてよく言われるけれど、
そんな言葉では片付けられない、片付けたくない、
いろいろなものを目の当たりにして、
でもこういう気分でいるうちは自分は大丈夫だと思うのだ。

流されない、流されたくない、流される気もしない。
あなたは笑うかもしれないが、
30になっても、40になっても、きっと自分は自分らしく生きていくのだと、
30の誕生日に妙に実感した。

一般的なこと、根拠のないこと、ただ世間的なこと、
そんなことを正しいと思って何となく流されることは、半分正しいけれど、半分は正しくない。

そして正しいと思ってとった行動でも、半分の人は自分を否定し半分の人は肯定をする。
正しくないと思ってとった行動でも、半分の人は自分を否定し半分の人は肯定をする。

よって、自分が正しいと思ったことを、
ただやることしか、道はないよね。

でもそんなとき、自分の刺激剤となる人間関係や本と出会うと、とたん流されそうになる。
でも、きっとそんなところに道はないよね。



今夜も旦那さん出張で、
わたしはワインで酔っぱらっているのだけれど、
酔っぱらった勢いで、どばっと何かを書きたくなった。

でも、書くべき場所はこういう場所ではない。
わかっている。のよ。

ここ誰が読んでるのさ。
でも、誰が読んでいても、まあいいの。
30になったことだし、真摯に自分の表現の仕方を考えていくかな。
世界との距離感とも言えるのだろうけど。

でも読んだら何かしら反応くれると嬉しいです。
メールでもLINEでも、Facebookでも。手紙でも。
異国にいると、こういう場で書きっぱって妙に後味わるい!
なにもかも、北京の寒さのせい!

アルコール摂取量が増えるのは北国の常だと体感してますよ。
そして今日の駄文のお供は、北京のロシア人街。
異国情緒でしょ。




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