日本は春分の日でお休みですか。
中国はお休みはありません。
そのかわり、朝起きたら雪が積もっていました。
春の雪。
思えば2001年。
わたしの大学入学の年だけど、
入学式の前の日の3月31日に東京に雪が降ったのね。
よく覚えてる。
春の雪。
白い雪が太陽を受けてキラキラしているのを眺めていると、
不思議と何かすっきりしたような気分になる。
こじれにこじれ、
単純かもしれないのにこじれ、
信仰だ、巡礼だ、罪だ、罰だ、愛だ、偽だ、
そんなギリシア悲劇か仏教教典にでも出て来そうなテーマを、
悶々と巡らせていた。
だけれど、残念。
古典の中にも、政治思想の中にも、何もヒントなどは隠されてはいないようだ。
規則は、ルールは、自分の中につくっていくものなのだと思う。
なんかむなしいような、孤独なような作業なんだけれど。
それは友達がたくさんいても、
家族がいても、夫くんがいても、
変わらない作業。
冷たい作業。
春の雪は、冷たいはずだったけれど、
太陽がのぼるとすんなり解けていって、
ああやっぱりもう春が訪れたのだと実感する。
いろんなもの。
北京在住の友人たちと話していて、
「ベイジンブルー」なるものが存在するような結論を私は見いだしたのだけど、
私は北京が好き。
なぜなら、
ここまで究極に冷たい作業をさせてもらったのは
この街が最初だと思うから。
日本ではどこにいても、
ただそれだけで暖かかったり生温かったりするから。
恵まれ過ぎだよ。
恵まれすぎたよ。
春の雪。
それでも、こうやってのしかかってくるのね。
必要なのは感性ではなく、ものさし。
世界を感じる心ではなく、
世界と自分の距離をはかるためのメジャー。
ほんとにいま、そう思う。